エルサレムと、ガザ



ガザ南部の街の、キャンプの若者。全く黒人としか見えない青年を、以前紹介した写真の中で見せようとしたが、サイズの問題で切れてしまっていたので、別の写真を。


エルサレムの、主要道路。イスラエル政府が、エルサレムの中にある入植地に繋がる路面電車の工事をしているが、完成も間近のようだ。



不思議なもので、西岸ではガザのような普通の人間関係が築きにくい。こちらが努力してこなかったのか、それとも西岸がガザと違うのか。
個人的な関係性の差を、占領の質的さや状況の善し悪しで語るのは短絡的なので、別個のものとして考えては欲しいが、イスラエル側にしても、西岸のパレスチナ人にしても、特別証拠はなくとも、以下のような共通見解があるのは確かだろう、前にも書いたかもしれないが。
「西岸は、将来的に渡ってイスラエルとなにがしらの関係を持ち続ける可能性が高い。が、ガザは、そうではない。しかもガザは必要ないから、西岸では見られないような過度な軍事的対応をする。」

これは哀しい現実であるが、イスラエルの西岸とガザの切り離し政策によってにせよ、西岸の人間のガザへの関心は非常に低くなっていた。無責任なコメントも多く、海外でも、「Gazawi(ガザ人、という感じか)」という呼び方には、何処か蔑視が込められている感じ、少なくとも、特別な感情がこもっていた。そうしているうちに、西岸でも「口封じ」が激しくなり、一般人が何かを変えようとする手は皆無に等しく、かといって、「いつの間にか、イスラエル以外の占領者にも、支配されるようになってしまった」なんて声は良く聞くのに、命がけで身内に立ち向かう姿も今のところはみない。

問題は、エルサレム
こうしている間にも、一つ一つ、家が土地が、パレスチナ人の手を離れていき、人々は、行動に移すのも、(西岸とは違う段階で)難しくなっている。イスラエルによって実質併合されているこの地に存在するパレスチナ人は、イスラエルのIDを持って生活しているが、それを奪われ、ここにいられなくなる、という圧力を常に感じている。そして、それが更に加速している、と考えられている。
が、それが伝えられることも、充分な調査が行われている形跡もない。
以前に、日本人のジャーナリストが書いた本のタイトルに、「エルサレムは誰のものか」という
ものがあるが、今は、「エルサレムとは何処か」、や、「エルサレムに、パレスチナ人は存在出来るのか、否か」というような状況。

旧市街では、ユダヤ人に強制的に取り上げられた、と所有者が主張していた家屋が、実は、オーナー自身が売り払っていたケースを良く聞く。勿論、エルサレムでは実際に、イスラエル政府によってそれまで住んでいた家屋から強制退去させられるケースも多いが、ともかく、
オセロを白から黒にひっくりかえして行くように、一箇所づつ、少しづつ、でも確実に、パレスチナ人のエリアが消えていく。
手元に、イスラエルの前首相の計画したエルサレムの分割図があるが、興味のある方には是非お見せしたい。
(所有権の問題や、イスラエルの法が定めた基準などを理由にしているが、東エルサレムは本来占領地で、イスラエルの土地ではない)

「ガザを伝える」ことも、全く別のステージに入った。侵攻について、偉容さは感じ取れても、その真の狙いを報道するだけの証拠が出てこない。「戦争の新形態」を、ガザから見て取らねばならないと私は考えているが、その手法や目線の置き方に、これまで使ってきた手法は対応してくれない。
苦し紛れに、そして、これまで幾らかは見出したつもりの、既に古くなってしまった「ガザへの対処」の手法で少し。
以前紹介した、古い知人と長い話をした後のことだが、彼が去った後、もう一人の知人はこう言った。
「チャンスを彼は、必死に掴もうとした。おれにもそれがあった。でも、そんな人など、殆どいない。」
そんな言葉も、チャンスがあったから言えること。

そして、エルサレムには、「トランスファーの巧妙さ」という、既に解っている変わらぬ問題があるのに、ここでは手法さえ見えてこない。
明日には、エルサレムも一旦離れる。

(4/6 エルサレム