続・講演は、だるい。

帰国日10日の夜の講演のことを考えている。
今、ドバイでの乗り継ぎ便待ち時間は18時間、夜中までは外に出て、ドバイで働きだしたパレスチナ人の研究者や、6年ほど機会を見つけては訪ねてきたアフガン人の店に行ってみたりしたが、真夜中に空港に戻ってから5時間以上経つというのに、どうにも眠れない。
本来は、ドバイでの話を書くべきなのかもしれないが、考えが及ばないので、ライター関係者が主催の10日の会について少し書く。 マスコミ関係者が多いということもあって、当初は、最新の取材報告に加えて、手法論や、一部、マスコミの他者についての検証などを行うべきか、と考えていた が、どうにも違うような気がしてきた。
元来、日本人は批判を余り好まないのは見ての通り。喜ぶとすれば、下世話な内輪話、となるのだろう。
が、どうやら聞きに来てくれる人の中には編集者なども多いようで、それであれば、面白く他者の批判をする必要などないな、、と思えてきた。分かり切っていて 変えられない当事者を、目の前にしているのかもしれないのだから。
しかも、どうしたって、批判する相手の名前は察しが付いてしまう。
イスラエルのガザ侵攻の最中に企画された活動家主催の会で、マスコミへの意見やODAについてのコメントをして欲しい、と機会を頂けそうだったのだが、その 時に誇示した理由の一つが、聞き手にNGOなどがいたこと。(NGOの全てが悪いわけではないし、NGOそのものが皆非常に難しい状況に置かれているのは確 かにせよ)なぜ、本来語るべき当事者までもが座っている前で、代わりにそんなこに触れなければならないのか。
同じようなものを、10日の会にも少し感じ始めた。
これまで、他の人よりは批判的なコメントを公の場で口にしてきたことは確かである。
が、そこにも一応決めごとがあって、それは例えば以下である。
①なるべく同業中の同業について語る。
②対案を示す。
③①のようでない場合、例えば組織ジャーナリストについて触れるときは、ジャーナリズムにおける責任が非常に重いか、少なくとも自分より強い者についてにする。
④他業種、組織について触れるのは、何か建設的な目的があるか、組織構造の問題や、自らの保身のために、明らかに原則論を踏み外しているなどの場合に限る。
「大手メデイアの伝えない、ガザのリアル」というのが講演のタイトルであるから、そういう意味では他者批判は求められていないわけで、勝手に批判をしなければいけないのだろうと捉えていたこちらが、間違っていたようにも思う。
まあ、そういうことをしても良いのだろうが、それであれば場合によっては、参加者がマスコミ関係者の場合、その方にも問いかけないと、名前を語られた 人などに失礼だ。
どうせ、憎まれっ子役を引き受けるなら、その場にいる人にもちょっとけんかを売ってみるぐらいの方が、真っ当かも。
やってみるか。 というのはさておき、今回の会の本来的な狙いは、自ら時間をかけてくみ取り、今回の事態を象徴するような「リアル」を語ることであって、そこから聞く側に、 自らを含めたメデイアの有り様を間接的に問い、かつ、手の打ちようがあることを、実際に取材した内容で幾ばくかでも証明する、べきなのだろう。
だから、今回 は余り大上段に立って世界を語ったり、論をぶつのは止めようという気になってきた。(自分で言うのは何だが)どれほど丁寧に、時間をかけて、対象と関わってきたかを、関わりそのものとそこから見ようとした事柄、見えてきたことから伝えた方が、きっと良い。そんなわけで、最初の頃やって来たエモーショナルな話でも、大げさな話でもないもやり方をしてみようかな、と思えてきた。それが、「リアル 」なのかは解らないが。 でも、会場にいる人に、ちょっと食って掛かっ6みるのも、面白いかも。一緒に話をすることになっている藤原亮司氏によれば、私、「人間が意地悪」らしいし。
「講演は、だるい」なんていう主催者に対してはこの上もなく失礼なことを書いたりしているくらいだし。
参加者の方は、突然話を振られるかもしれません。

(4/8 ドバイ)